わたしの父も母も
昔からホンネは言いません。
ホンネでぶつかるエネルギーより
自分が我慢すればなんとかなる、
そう思っているんですよね。
だから、自己犠牲が当たり前だし、
我慢が普通だと思っています。
父は40歳をを過ぎてから
母方の家業を継ぎましたが、
教師という仕事とは180℃畑違い。
合うはずもありません。
はじめてスグに自分には
無理だと感じたのか、
父は「辞めたい」と
言ったそうですが、
母からは
「自分が決めたことだから
10年はやって!」と言われたそうです。
それから父は
やりたくない仕事を我慢して、
10年も続けることになりました。
だからこそ父は言います
「楽な仕事はない。仕事というのは
家族のために我慢するもの」だと。
そして母は昔から
共働きにも関わらず、
家事を一切しない父を見て、
「私は座る暇もないほど
動き回っているのに何も手伝わず
パチンコなんかに行って!!」
と心の奥底で思っていたそうです。
でも子供の前で
「父親のことを悪くいってはいけない」
とぐっと我慢して耐えてきた、
と最近になって聞きました。
フルタイムで働きながら
帰ってきたらご飯の用意と洗濯をし、
自分の時間がほとんどない母を見て、
わたしは「こんな生き方絶対に
したくない」と思っていました。
つらそう、大変そう、憧れない!
だから結婚するなら私が
働かなくてもいいくらい稼いでいる人
希望でした。
でも反面
「稼がない私なんて価値がない」
という教育も強く受けていたので、
「専業主婦なんか
価値がないからなったらダメ」
そんな矛盾したメンタルブロックも
持ち合わせていました。
30歳のある日、
好きだった人とご飯に行きました。
向かい合って座ったとき、
彼が何も言わずニコニコ笑って、
こっちを見てきたんです。
「どうしたの?」と聞いたら
「嬉しくて!」と言われたことが
衝撃的に心に響きました。
私はそれまで自分の感情を
言葉にのせたことがなかったのですが、
それは言葉にするものって
知らなかったから。
「嬉しい、楽しい、苦しい・・・」
今までも周りに溢れていたはずなのに、
このときやっと感情という言葉が
私に刺さった瞬間でした。
帰宅して私はスグに母に聞きました!
「どうしてうちは感情を言葉にしないの?
他の人は口にしているよ」
母は一言
「え?見ればわかるじゃん」
え、エスパー?!
母は自分の事なんてすべて後回し、
自分にお金なんて絶対にかけないし、
ただひたすら(母の望む理想のカタチで)
私の幸せを願っていたからこそ、
私のことを良く見ていたのでしょう。
確かに少し体調が悪いとき、
口に出さなくても
いつも気づいてくれたのは母でした。
そんな両親のもとで育ったわたしも、
知らず知らずのうちに
・我慢するのは当たり前
・自分のキモチは口にしない
習慣ができていました。