25歳のとき、
あんなに厳格だった祖父が
あっけなく亡くなりました。
検査入院で入院したはずが、
そのタイミングで
末期のガンとわかり、
その後一週間で他界。
祖父がなくなる日、
私は大阪でいつも通り
仕事をしていました。
でもその日はなんだか
仕事が手につかず、
夕方母に祖父の容態を
電話で聞いたんです。
「もう痛み止めで意識が
もうろうとしているから、
帰ってきても・・・」
そう言われた瞬間から、
なぜか涙が止まらなくなりました。
電話をきったあと
スグ会社に早退届を出し、
新幹線に乗り病院までの道中、
ずっと涙が溢れてとまらなかった。
まわりの人が「どうしたのか」と、
興味本位で私を見ていることには
気づいていました。
それでも、
勝手に溢れてこぼれ落ちる涙が
とまりませんでした。
病院がある最寄りの駅には
到着したものの、道が分からず、
人に尋ねながら走りました。
「早く行かなきゃ」そればかり
考えて気が焦っていました。
そして30分かけて
ようやくたどり着いたとき、ふと
「私ひどい顔してるんじゃない?」
と冷静になったんです。
病室には母がいるのが分かっていました。
私が大阪から帰るなんて
誰にも言わず帰ってきたから
なんと言われるか・・。
トイレで顔を洗い、
息を整えてから病室に入りました。
予想通り、驚いた母は言いました
「え?どうしたの?」
そんな母を横目に、
私はいつも怖くて触れることが
出来なかった祖父の手に
はじめて触れました。
すると指先は恐ろしく冷たく、
生きているとは思えないほど
冷えきっていました。
あ、今日死ぬ。
そう思ったんです。
しばらくして看護婦さんがやってきました。
母が「苦しそうなので痛み止めを」
と言いました。
私は看護婦さんの準備する
注射針の先を見ながら
「これを注射したら、おわる」
そう思いながら、
でも何も言わずただ淡々と
ことの運びを見つめていました。
注射をしてスグ、
祖父の表情が緩み痛みから
解放されたのが分かりました。
でも、そのあと5分もしないうちに急変。
最後はわたしと目があったまま、
瞳から魂が抜けていく
瞬間に立ち会いました。
今でもあの瞬間を思い出すと
涙がとまらなくなります。
そして祖父が常々私に言っていた言葉が
頭をよぎりました。
「何事も勉強じゃけん」
それは”死”というものに向き合うために、
祖父から見せられた気がしました。
そして「次に家を守るのはお前だ」
と幼い頃から言われ続けたことを胸に、
「地元に帰らなければ!!」
私の心に迷いはありませんでした。