プロフィール

3:はじめての就職先はブラック企業

はじめての就職先は、
大手の英会話教室でした。

 

そもそも就職というものに
興味がなかったため、
会社のリサーチなんて
全くしていなかった私は、
入社初日に洗礼を受けます。

分厚い営業トークマニュアルを渡され、
隣の人とロープレを行い、
英会話の売り方を徹底的に丸暗記で
練習させられました。

そしてその後は各店舗に即配属。

 

その会社は珍しく
4月・7月・9月入社があり、
入社月は自分で選べたのですが、

私は働く気が全然なかったので
9月入社を選んでいました。

入社してはじめて、
1年に3回も入社があった理由を体感。

売上があがらないと、
追い込まれて病んでいく・・・
そんなメンバーが続出。

 

ドンドンと同期が
辞めていきました。

 

まじめな人ほど
自分を追い込んで心を病み、
ふらっと拠点から消えた人
もいると聞いています。

そんな中で私が配属されたのは
偶然にも「売上が最高の拠点」。

先輩がガツガツ活躍されていたので、
私の出番がラッキーにも回ってこず、
怒られることも病むことも
ありませんでした。

 

そんな時、
系列の旅行会社へ出向となります。

実は本当は旅行会社で働きたいと
思っていたわたしは
入社前のタイミングから
出向願いを出していました。

それが入社半年目で承認され、
晴れてブラックな英会話教室から
旅行会社でのお仕事へシフトしたのです。

 

人生ではじめて
「やってみたいが叶った」時
だったかもしれません。

 

もともと旅行好きな私は、
ウキウキで新しい会社へ勤務。
同期と2人同時の移動でした。

でも移動して1ヶ月が経った頃、
「あの子の方が仕事出来るって
言われてるから頑張って」

そんな風に先輩社員から言われ、
ガーンとなったのです。

 

「私って仕事が出来ない子なんだ!」
とここでインプットされました。

そして日々の小さなミスで
「この前言ったよね?」が度重なり、
営業サポートをするのが
怖くなっていきました。

 

人として嫌われることはないけど、
私は仕事が出来る人ではない!

やっぱり私は何をしても
「ふつう」以上にはなれない。

これが私の描いた自分像。

 

そしてその後しばらくして、
英会話教室が倒産!

日本中を駆け抜ける
ニュースとなりました。

25歳で倒産を経験したことにより、
上場企業だから続くとは限らない、
という貴重な経験をすることができました。

 

my story4:「祖父が最後に教えてくれたこと」へ続く