プロフィール

~ヒストリー~

はじめまして。ホームページへご訪問ありがとうございます。

私のことを初めて知ってくださった方のために、自己紹介をさせて頂きたいと思います。最後まで読んで頂けると嬉しいです。

岡山の田舎町で育った18年間

 

「晴れの国岡山」と言われるほど太陽と仲良しの海沿いの街で育ちました。

両親とも学校の先生で、妹と2人のよくある4人家族の長女として生を受けました。学校の先生と聞いてお堅い親をイメージされたかもしれませんが、まさにその通りです(笑)教育に良くないであろうものは、きっと耳を疑うほど排除された環境で”お嬢さん”として育てられました。

しかしお嬢さんながらに、両親共働きの背中を見て「こんなにツライ人生は嫌だ」と思っていたのです。

朝起きて子供に朝ご飯を食べさせ、自分は猛特急で準備をし保育園に送り届けれる。そして誰より遅くに迎えに来て、帰ったら洗濯をしながら夕ご飯の準備。食べながら洗濯物を干し、洗い物をして子供をお風呂に入れて一緒に寝る。

きっと、どこの家庭でもよくあるこんなルーティーンな毎日の母を見て、私は幸せだと思っておらず、「絶対なりたくない将来像」としてインプットされたのです。

今となっては、あんなに慌ただしい生活の中、育ててくれた母親に感謝しかありませんが、平日は一緒に過ごす時間はほとんどなく、寂しさを感じていました。また、専業主婦のお母さんがいる友達の家に行ったとき、平日のおやつに手作りのお菓子が出てきたんです。それを見て、「羨ましい!!!」そう強く思いました。

念願叶って大阪デビュー♡

 

岡山にいる時は、”何か分からないけど違う”そんな感覚をずっと持っていました。だから都会へ行けば楽しい毎日になるんじゃないか、という安易な期待に胸膨らませて、大阪の大学へ進学したのです。

ところがここでも”何か違う”は消えず、友達もうまく作れずサークルも途中で脱退し、キャンパスライフといえば彼氏!!!と思っていましたが、そんな妄想していたLoveライフも訪れなかったため、”やっぱり何か違う”とここでも思い続けていました。

そして憧れだったサンフランシスコへの留学先でも、”うまくなじめない” ”何か違う”と、そんな悶々とした感覚を感じていました。

ここまでで「何か違う」歴、22年です!!!

 

大学卒業間近のタイミングでお付き合いした方が”経営者”でした。”経営者”という肩書きに魅了されていた私は、大学卒業するまで頭の片隅に”会社員で働きたくない”そう思っていたんです。

でも、周りの就職活動の波に乗り、私もリクルートスーツを着て就職という選択をしました。

 

大阪で働いた3年間

 

この頃はお付き合いしていた方がお店をしていたことから、”店舗経営”に興味があり、英会話教室と旅行会社で合わせて3年間働きました。

英会話教室では、色々な国の講師と出逢う機会となり、言葉が通じない楽しさともどかしさに魅了されました。また、旅行会社への移籍をきっかけに海外研修へ何度か行く様になり、どの国に行っても心躍っている自分に出逢うことができました。

私の興味が詰まったお仕事だったように思います。

ただ、憧れていた店舗経営に携わってみると、「孤独なこと」を知りました。誰か来てくれなきゃひとりぼっち(笑)店舗を知ってもらうために、駅前でビラ配りやポスティングも行いました。

ところが、上場企業だったにも関わらず、働いていた会社が倒産!!「安心・安泰・安定」はないんだなと体感する出来事でした。

それとともに、店舗経営への憧れも消えていました。

 

リターン・トゥ・岡山

 

転職を機に岡山へ戻ってきたのが26歳の時です。

大阪で店舗経営は孤独なことを体感していたため、次はチームで仕事をするようなことをしてみたいと思い、教育関係の会社に就職しました。私がイメージしていたのは、よくドラマであるような『1つの企画をみんなで作り上げて、課題も力を合わせてクリアしていく』ようなイメージです(ドラマの見過ぎ?笑)。

しかし実際の仕事内容は全く異なり、1つの仕事を任されると横連携はなく、淡々とその作業をこなしていくような日々でした。入社してスグ「あ、何か違う」と思ったのを記憶しています。

ただ田舎なので、転勤なしを希望している私にとって、そこそこにお給料、福利厚生、会社のネームバリューがあるところなんて、なかなかありません・・・。だから「ああ、辞めたい」「もう嫌だ」と思いながらも13年頑張っちゃったんです。

この13年間の”何か違う”感覚は感じて当たり前ですよね(笑)ただ、辞めない理由を探して耐えた13年間でした。

 

海外旅行を続けた10年間

 

ずっと辞めたい気持ちはありましたが、唯一の楽しみがありました。それは長期間の夏休みがとれること!これが私をつなぎとめていた一因だったことは間違いありません。

毎年他の人がどんなに短い休暇しか取らなかったとしても、私だけは10日間連続で取得し、海外旅行に旅立っていました。フランス、スペイン、イギリス・・・年に2回行っていた時期もあったため、渡航先をあげればきりがありません。

「海外旅行に行けるから我慢しよう。みんな同じように嫌々働いている」と、自分に言い聞かせていた気がします。でも、最後の3年間は仕事内容がガラリと変わり、夏期休暇を連続して取得することが出来なくなったことも影響し、私の会社で働くモチベーションは更に下がっていきました(だって最初から興味ない仕事だった!爆笑w)。

私にとって海外は未知の世界、でもワクワクする場所です。私は何度でも海外に行きたい!!と思っていたため、「世の中の人はみんな行きたいに違いない」と思い込んでいました。でも、よくよく話を聞いてるとさして海外に興味がない方もたくさんいたのです(びっくりんこ!!)。

会社員を辞める方法を考えた

 

ココでようやく私は「どうすれば会社員を辞めることができるのか」を真剣に考え始めました。人は悩まないと動けないものですよね(笑)。

そして、次々とちまたに溢れている副業に手を出していきました。カイロプラクティック→アフェリエイト→ネットワークビジネス→FX投資・・・結果、どれも上手くいきませんでした。

そもそも私にとっての”上手くいく”基準は、会社員の給料を上回れるかどうか、しか見ていなかったので、自分の技術が上達したとか、どっちでも良い!と思っていました。

ちなみに、ここまでで副業に投資した額100万超え(真似しないでねw)。この頃の私は「とりあえずお金が稼げれば何でも良い」と、お金しか見ていませんでした。世の中に貢献しようなんて気持ちはこれっぽっちもなく、「自分がいかに稼げるか」にフォーカスしていて、「稼がないと辞めちゃダメ」というマイルールを無意識に創っていたのです。

 

自分を知るから動き出せる

 

そして「もう変われない!無理!」「仕事もどうせ辞められない!」「でも本当はなんとかしたい!誰か助けて」と諦めかけたときに出逢ったのが、自分のココロと向き合う講座でした。

自分と向き合うということは、「どんな自分も認める」ということです。これがなかなか難しく、長くツラい9ヶ月間でした・・・。

でも、結局のところ”自分を知らないから”あらぬ方向に進んでしまうし、”自分を知らないから”誰かに依存したくなり、誰かのせいにしたくなるんです。

だから自分自身を知るということは、何をするにも「まず初めにするべき大切なこと」だったことに気づきました。

 

自分も知って資格も取れる

 

自分を知るという作業は実に単調で地味なことの繰り返しです。私は自分と向き合うこともしましたが、コーチとして教える側になったとき、更に痛感したことがあります。

それは「高額な金額を使って自分と向き合っても、何の資格もとれない」ということです(笑)

せっかく自分が何か習得したら、誰かに伝えたくなります。でも、特に資格を取ったわけじゃないから一人じゃ不安で、伝えてみたいけど始められない・・・と言う方を目の当たりにしてきました。

そして思ったのです!「自分とも向き合えて、資格としても役立つものがあれば最高じゃん♡」そう思っていたときに出逢ったのが四柱推命でした。

四柱推命は「私らしさとは○○だ」ということが可視化されている命式があります。そのため、今までこれでいいのかな?そんな風に自信なく生きてきた方にとっては、最高の答え合わせとなるはずです。

自分らしさのピースを見つめ、それを自分の中に落とし込むことで「これでいいんだ!」と前へ進むことができるようになります。

なぜなら、自然界がアナタらしさを分かりやすい形で教えてくれているツールだからです。私たちは自然の一部です。だから自然の流れに抗わず波に乗って生きることで、軽やかに自分らしく進んで行くことができるのです。

私がこんなに自分の内面と真剣に時間とお金をかけて向き合ったのは、自分自身が幼い頃から「何か違う」という感覚を持ち続けていて、その理由が分からなかったからです。「何か違う」人生から卒業したいという想いからでした。

 

”自分を生きている実感がある”今、私には目指す未来があります。それは、

自分らしさに気づき

自由に生きる人を増やす

 

『やりたくない仕事に捧げる人生』『何か違うと感じる人生』から卒業し、自分らしく生きる人を増やしたい。世の中からストレスが減り、穏やかな世界になれば嬉しく思います。

 

愛を込めて…  藤崎 奈々